漣(さざなみ)は、陸と海の間にあるどちらでもないキラキラと輝く場所のことです。

最近になって、新潟の海に家族と親戚で海水浴に行った子供の頃を思い出しました。当時小学2年生でスイミングスクールに通い泳ぎに自信があった私は、従妹と陸続きのテトラポットに登り海に飛び込んで遊んでいました。陸から母が「危ないから帰って来なさい」と、しつこく叫ぶので陸まで泳いで帰ることにしました。ギリギリ足が海底につくのでポーンポーンとジャンプしながら進んでいきました。しかし、急につま先が海底につかなくなったのです。泳いで進もうとしたのに、なぜか身体が沈んでいくのです。「大丈夫。私は泳げるから力を抜いて浮いてから泳ぐんだ。」と言い聞かせ海中から空を見上げると、自分の吐く泡が太陽に照らされてキラキラ輝いて綺麗に見えました。不思議と沈んで行くのに全く苦しくもなく、ただ「きれいだな~」と思って眺めていました。

すると、すごい力で何かに担ぎ上げられ海面に顔を出す事が出来ました。この瞬間に、言葉で表現できないほどの苦しさが襲って来て泣いてしまいました。溺れている私たちに気づいた男性たちが助けてくれたのです。その後、母にこっぴどく叱られ砂浜に体育座りをさせられました。2時間は母に怒られながら熱い砂浜にモジモジして座っていたと思います。

泣いてしょんぼり座っていると、祖母が「ケイちゃん、お尻が熱いから波打ち際に座りなせ」と一緒に座ってくれました。熱くもなく冷たくもない漣に座りながら「ケイちゃんは、助けられた命を、大切に生きなきゃなんねぇよ。みんなに、感謝して生きんだよ。」と頭を撫でてくれました。その後、激怒している母に何か話をしてくれて、私は母に許してもらい、隣接している浅い浅いプールでの水遊びを許されました。以後30年、海で泳ぐ事は一度もありませんでした。そして、私の体は海では浮き輪無しに浮く事も無くなりました。

その新潟の祖母が、昨秋99歳で他界しました。特養に入所し、看取りケアでの最後を迎えました。施設の職員さんが細やかに様子を説明くださり、昔から顔見知りの主治医が状態を話してくれたり質問に何でも応えてくれました。新型コロナ感染症対応の中、居室の窓越しでの面会でしたが叔母夫婦や従妹達は感謝とぬくもりに包まれたといいます。

叔母は葬儀で「施設の職員さん大好きなんだ。母にも私にもすごく優しくしてくれたの。家族より私の気持ち分かってくれるんだ。母が亡くなって、施設の職員さんに会えなくなるのが寂しい。」と私の母に話したそうです。私の母は、施設の職員さんが祖母の誕生日に作ってくれた写真入りのメダルを持ち帰り、今も部屋に飾っています。そして私に「いい仕事だね」と言ってくれました。

看取りケアは、ご家族と利用者様の間にある、両者をぬくもりに包む場所なのかなと。

福祉・介護に携わる私たちの場所なのかなと思いました。

 

ちなみに、祖父母・叔母・従妹に私の両親、みんなそろってカナヅチです。納得です。

 

(法人内会報より)